「国々のための一分」 の終了


いつも国々のための祈りありがとうございます。
今日12月31日をもちまして、「国々のための一分」の祈りのメールサービス、ウエブサイトサービスを終了させていただきます。
1997年以来、プレイヤー・ダイアリー、そして2011年、2012年はオンラインの祈りの課題を多くの方に提供することができ、本当に感謝です。

どうぞ、続けて世界の国々の必要のためにお祈りください。
毎日の祈りの課題は、聖霊様の導きによって決めてる事も出来るかと思います。もちろん、ニュースを見ながら、多くの紛争や危機を目にしますが、何よりも国々に「御国が来ますように」祈り続けましょう。
今後も祈りの課題の必要な方は、
アジア・アウトリーチ・ジャパンに祈祷課題を依頼したら、毎月の国のプロフィールのメールが届きます。
どうぞ直接アジア・アウトリーチ・ジャパンに連絡してみて下さい。
aojapan☆zeus.eonet.ne.jp ☆を@に換えてください。

また、英語の出来る方は、アマゾンで英語版のプレイヤー・ダイアリーを購入することができます。

今後も、御国の拡大、日本の収穫、そしてキリストの再臨のために、主の約束を信じ、感謝し、祈りましょう!

ジェフ・リンスコット
オンファイヤージャパン





2012年12月 アジアのミッションの進展

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「主よ、私はあなたが私と共に常におられることを知っています。」ライアンは地下室で、すし詰め状態の仲間の信者たちと共にひざまづいて祈りました。彼女の家の教会は何年も宣教の視野を持って努力を続けています。出発を数日後に控え、ライアンは期待と不安との狭間にいました。サウジアラビアへ行こうとするチームの一員として、彼女は自分の生命が危険な状態に置かれることになるかもしれないことを知っていました。中国のチーム・メンバーは外国人労働者として入国しますが、彼らの最終目的は、サウジ政府によって厳しく制限された福音を広げることでした。「私が忠実な証し人であることを助けてください。」ラクィアンは叫びました。「私は死に至るまであなたに従って参ります。」

地の果てにまでイエスは天へ昇られる前に、従う者たちに全世界の至る所において福音を述べ伝えることを委ねられました。「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります」(使徒の働き1:8)。イエスの死および復活の後の数世紀にわたり、使徒と使命感を抱いた弟子たちは迫害によって更に大胆になり、アジア、アフリカを越えてキリストのメッセージを伝えました。

2012年11月 ウガンダの復興

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ケールは少年時代にウガンダ北部の30キロ北西グルの中規模の村に住んでいました。彼は、医療技術者や生物学の教師になるために大学で学び、良き家庭を築くことを夢見ていました。しかしある運命的な日に反政府勢力が彼の村を襲撃し、彼の教師を射殺し、8才から12才までの12名以上の他の子供たちと彼を誘拐しました。その後数ヶ月間にわたって、ケールと新しい仲間たちは精神的虐待を受け、薬漬けにされ暴行を受け、武器を取って罪のない人々を殺すことを余儀なくされました。その後奇跡的に、ケールの反乱部隊のリーダーが銃撃戦で死亡し、ケールは脱出をすることが出来ました。難民キャンプと社会復帰の訓練後、彼は地域社会を再構築する組織で働き始めました。彼は新しい身分を誇りに思い、少年時代の夢を追求する予定でいます

荒廃地域東アフリカ大陸の大湖地域の国々は、永年にわたり戦争、民族対立、HIV/エイズ、汚職、非効率的な政府と企業によって疲弊してきました。この地域の最も気掛かりな問題は、北部ウガンダに基盤を有する抵抗軍(LRA)と称する組織です。1987年以来、ウガンダ政府に対して戦いを挑むこの反政府グループは、誘拐した数え切れない子供たちを奴隷にし、兵士として訓練しています。荒廃しきった生活環境や死者数は膨大で恐ろしい数に登ります。『北部ウガンダ紛争の理解と解決』と題した報告書で国際危機グループは、政治的成果を達成することを目的とした戦略を考案する中、「LRAの行動は理解しがたく、『効果的提案を開発することも困難』」としています。

2012年10月 パキスタンにおける宗教的不寛容

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ザーラは自分が閉じ込められていた独房を深い裏切りに会った悲しい笑顔で見つ め、パキスタンの自分の村のことを思い出していました。夫と子供と共に暮らして いた頃がまるで自分が過ごしてきた一生の時間のように感じられました。彼女が同 僚に一杯の水を差し出しときに、彼女が"不浄"なクリスチャンと呼ばれる民であっ たために水の受け取りを拒否された時から彼女の人生は止まってしまったのでし た。紛争が起こり、間もなく暴徒たちが彼女の家にやってきて、彼女と彼女の家族 を打ちのめし、預言者の名前を冒涜したと彼女を非難しました。警察は彼女の救助 に一応は来ましたが、戻ってきて『不敬罪刑法』によリ彼女を逮捕しました。その 後の数ヶ月後間、ザーラは、彼女の死刑判決がいつでも執行される状態にあること を知りながら、独房で過ごしていました。 彼女は恐怖を乗り越える信仰が与えられるように、家族の元に戻れるように祈り続 けました。

世界的な不寛容 宗教的な不寛容は、明らかに世界的な現状です。セラ-ワーダ仏教を促進するミャン マーでは、政府イスラム教徒のロヒンギャの人々の市民権を否定し、厳しく抑圧し ています。マレーシアでは、国家公認宗教はイスラム教スンニ派で、シーア派のイ スラム教徒は密かに集まって礼拝しており、歴史的なヒンズー教寺院は当局によっ て破壊されています。サウジアラビアのようなイスラム国家では、他の信仰の実践 が禁止されていますし、

2012年9月 スロベニアにおける霊的無学

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ウルシュカは家に帰るまで、その日覚えた教理問答集を繰り返しながら、通学かばんを前後に揺らしました。彼女の両親はカトリック教徒で、彼女が神について学べるようにと小さな私立学校に入学させていました。しかし彼女の友達のほとんどは、彼女の学校、聖テレサ校の真向かいにある公立学校へ行きました。公立学校の教師達は生徒達に神に関する話をしません。実際に、ウルシュカの友人達は「神様なんて本当はいないわよ」と彼女に言っていました。ウルシュカは振り返ってその公立学校を見ました。「友達の言う事が本当なのかしら?」

経済の繁栄と霊的無学
生い茂った森、青緑色の湖、急な山の斜面の間にそびえる城、アルプスとアドリア海が出会う位置にあるスロベニア共和国は、並はずれた自然美と激動した歴史の両面を持った国です。
スロベニア人は、第二次世界大戦後、セルビア人、クロアチア人と結束してユーゴスラビアを建国しました。スロベニアは1991年まで規制の厳しい政権の下にありましたが、ほとんど流血なしの十日戦争によって、ユーゴスラビアからの分離独立を投票で決めました。
それ以来、この独立国は比較的平和な状態を築き上げてきました。スロベニアはヨーロッパの中では最も生活水準の高い国の一つで、かつて共産圏だった国々と比べれば特にそうです。平均的なスロベニア人は高校を卒業し、年収は約3万ドル、平均寿命は77歳です。国家は安定した議会制民主主義の政府で、2004年に欧州連合に加入し、それがさらに経済の繁栄を高めることになりました。
しかし、スロベニアの経済と教育の安定は、霊的無学さを覆い隠しています。第二次世界大戦までは、カトリック系キリスト教が国教として認められ、公立学校で教えられていました。良い教育とは道徳の本質を考慮するものであり、道徳は宗教心なしでは教えられないものです。事実、宗教教育は他のすべての教科の基礎として配慮されるものです。

2012年8月 キューバのリバイバル

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賛美チームが楽器を置き、歌声と拍手が静まりました。次はスーザが話をする番です。信仰を持ち始めて間もない彼女からは、キリストへの喜びや熱意が周りの人々に伝わってきます。クリスチャンになる以前の彼女の生活は困難でしたが、何十年もの間宗教的弾圧の中で生きた昔の信仰者たち程ではありません。2年前、隣人がスーザにキリストについて話をしてくれ、隣人と共に祈りました。話を聞いた時は良く理解できませんでしたが、隣人と祈った晩、スーザは不思議な新しい光と喜びを感じました。そして彼女は小さなハウスチャーチに参加し、主を受け入れました。そのハウスチャーチは成長して場所を移し、今ではスーザの住むアパートの正面の2部屋をいっぱいにしています。スーザは見慣れない顔ぶれが数人いることに気がつき、証を始める前にこう言いました。「キリストにある兄弟姉妹を代表して、皆さんをこの交わりに歓迎します。」

安定した祈り、答えられた祈り
キューバでは、卑しむべき貧困と近代的な西洋社会が共存しています。この島の国民の平均寿命は79歳と長く、識字率は約100%を誇っていますが、毎日の生活の中では、食料や電気不足、健康や交通システムの弱化、社会福祉の劇的な低下などが起こっています。キューバのクリスチャンのほとんどは信仰を持ち始めて間もない人たちです。1959年以前から教会の成長は増加に向かっていましたが、キューバ革命によってその努力は妨げられました。

2012年7月 シエラレオネで女性として生きぬくこと

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25歳のイサタは4人目の子供をあやしながら、彼女の前で話している女性に熱心に耳を傾けていました。その医療ボランティアワーカーの女性も、イサタのように幼い頃に宗教的儀式として女性器切除を強いられ、それによる痛みや混乱などを良く知っているようでした。彼女はシエラレオネの多くの女性と同じように、妊娠や出産で命の危険があるにも関わらず若くして結婚をするしか生きる道がありませんでした。そんな彼女のイサタを助けたいという熱心な気持ちに心を動かされ、イサタは近所のクリニックで彼女から定期的に診察を受ける事に同意しました。無料の診察なので、夫が許可してくれることを期待しつつ、、、。

汚れてしまった宝石
紛争ダイヤモンド、内戦、切断術、少年兵。悲しいかなそれらがシエラレオネと聞いて人々が連想する言葉です。シエラレオネの首都のフリータウンは、奴隷制廃止後にイギリス兵から解放されたアフリカ人奴隷の移住地として作られました。旧イギリス植民地はかつては西アフリカの王冠にとっての宝石のような存在で、西アフリカで初めて大学を持った国でもありました。

2012年6月 世界中の安楽死


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介護施設が入居者のためにイベントを行った時、ジョンとシビルは廊下でその騒動を聞いた。今彼らは80歳後半、休息を取ったり読書をしたりするのを好んでいた。ジョンが新聞のページをめくると、タズマニア議会での安楽死についての議論の見出しが目に入った。彼はシビルを動揺させたくなかったので、この法律の可決がどのように彼らに影響を与えるか、密かに心配していた。彼らの二人の子供達は両方とも他の国に住んでおり、ジョンは、彼らが自分たち夫婦の世話をする財源も時間もない事を知っていた。もしジョンとシビルが、自分たちのための決断をする事が出来なかったら、一体どうなるのだろうか? ジョンは、自分と妻が、選択の余地のない安楽死の可能性から守られるように祈った。
生と死聖書の第一章は、地とその中のすべてのものを造られた神の美しい物語を詳述している。神の最後の創造物である人類は、他のものより卓越していた。神は、それはただ単に良いというだけでなく、

2012年5月 イスラム教への橋渡し


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アラブのクリスチャン・ビジネスマンのアーメドは、長期休暇の末、仕事に復帰したので不安であった。彼はイスラム教からキリスト教に改宗していたが、友達、家族および同僚には、彼がクリスチャンになるという決断について口外しなかった。アーメドのキリスト教への新しい信仰について、彼らはほとんど理解していなかったので、彼の文化的、社会的、霊的に支持するもの全てに戸惑いを感じた。アーメドは全く別人のように思われたが、実際、彼は未だイスラム教文化の中のアラブ人であった。それは10年前の事だった。今、アーメドはクリスチャンの間では、自分自身の伝統と同胞を誇りにしてる信徒リーダーである。彼は、福音を伝える事に努め、多くのイスラム教徒がイエスと、イエスだけがもたらす事の出来る人生の変革について、学ぶのを助けている。
共通性と相違イスラム教徒は、世界の人口の1/5を占めている。それは、中東に起源をもつ一神教で、ユダヤ教とキリスト教に幾つかの類似点はあるが、イスラム教徒とキリスト教徒、そしてユダヤ教徒の間には、6世紀後半のイスラム教の歴史の初めから、緊迫した関係が続いている。イスラム教徒の大部分は、“西アフリカから中東を通り、

2012年4月 メキシコの麻薬戦争


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さっぱりとした服装の6年生、ジュアンーカルロス-モンテロは私立のキリスト教系学校に通っています。彼はクリスチャンではありませんが、政府の運営する公立学校より質がもっと高いと言う事で彼の両親がそこに入学させたのです。彼の家族はメキシコの中流階級です。父は働き者で正直な男性であり、アメリカの会社のセールマンです。愛に満ちた母は毎日息子の為にお弁当を作ってくれます。モンテロ一家の生活環境は一見平和で安全なようですが、実はそうではありません。麻薬に関連する暴力が地域に蔓延していて、特に過去5年間で彼らの生活は大きく変わってしまいました。
ジュアンーカルロスの両親は銃撃戦に巻き込まれる危険性があるので、学校への行き帰りなど、たった2ブロックでも歩く事を許してくれません。学校から家に着くと、ジュアンーカルロスはずっと家の中で過ごします。両親は彼が2匹の犬と一緒に中庭で短い時間だけ遊ぶ事を許してくれますが、それでも遊ぶ時間や家族の時間は彼らの小さな家の中で過ごすと厳しく決められています。
続く戦い過去数年、メキシコの麻薬戦争関連のニュースがほぼ毎日一面を飾るようになりました。
旅行者達は麻薬戦争の影響で、昔は安全であった地域を恐れ、

2012年3月 日本

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みのるは教会の牧師に何人かの友達を紹介する事を、顔には出さないように隠してはいたが、興奮していた。彼の大学の友人であるバスケ部の仲間達は、みのるのキリストへの信仰に対し興味を示していました。そして、みのるがケガをした選手に祈り、彼が皆の目前で癒された時、大きな変化が起こりました。日曜日の朝の礼拝後の今、みのるは数名の若者と共に牧師と話す準備が出来ていました。その牧師は、彼らの何人かは経験した事のない、暖かな真の父親のような親しみやすさがありました。しかし、みのるが洗礼を受ける為の必要事項として、奉仕に加わる・教会に十一献金をする事等を聞いた時に、日本でクリスチャンであるのは、彼らが考えていたより難しい事が明らかになりました。彼らが毎週日曜礼拝に参加しなければならないのなら、バスケットの試合はどうすれば良いのでしょう?イエスを信じた結果、彼らはバスケット部の活動を諦めざるを得ません。


教会と伝統「未伝道」の国、日本は平均出席者が1教会に35人だとしても、8千近くの教会があると誇る事ができます。日本のクリスチャンとして残された人々、日本の人口の0•4%が毎週教会に出席しています。しかし約5%の日本人は、

2012年2月 ブルキナファソのフラニ族


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冷えた暗い早朝の空気を裂いて、いつもの祈りへの誘いが鳴り響き、15歳のファテマタは床の上で寝返りを打った。「おじいちゃん!」彼女ははたと起き上がった。毎朝、小さなモスクの尖塔から呼びかけていた彼女のおじいさんは、つい最近亡くなったのだ。それはファテマタにとってつらい思いだった。おじいさんの死後の世界について知りたい想いで悩むのだった。彼女は学校に行かせてもらえなかったが、村に訪れた人達が屋外で映写した映画を見たことがあった。それはイエスという男の話で、彼は神の子で天国への道を知っているということだった。ファテマタはその話を聞いて、深い喜びを感じたが、おじいさんが亡くなる前にその話をしてあげる事が出来なかった。もっと他の人達が来て、その話を皆にしてくれるだろうか、と彼女は思案するのだった。
有力な人々西アフリカ諸国に渡り居住しているフラニ族の人々は長い歴史と豊かな文化を持っている。昔から遊牧民で、多くのフラニ族の人々は牛や羊、ヤギ等と共に牧草地を巡り移動する。