2012年10月 パキスタンにおける宗教的不寛容

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ザーラは自分が閉じ込められていた独房を深い裏切りに会った悲しい笑顔で見つ め、パキスタンの自分の村のことを思い出していました。夫と子供と共に暮らして いた頃がまるで自分が過ごしてきた一生の時間のように感じられました。彼女が同 僚に一杯の水を差し出しときに、彼女が"不浄"なクリスチャンと呼ばれる民であっ たために水の受け取りを拒否された時から彼女の人生は止まってしまったのでし た。紛争が起こり、間もなく暴徒たちが彼女の家にやってきて、彼女と彼女の家族 を打ちのめし、預言者の名前を冒涜したと彼女を非難しました。警察は彼女の救助 に一応は来ましたが、戻ってきて『不敬罪刑法』によリ彼女を逮捕しました。その 後の数ヶ月後間、ザーラは、彼女の死刑判決がいつでも執行される状態にあること を知りながら、独房で過ごしていました。 彼女は恐怖を乗り越える信仰が与えられるように、家族の元に戻れるように祈り続 けました。

世界的な不寛容 宗教的な不寛容は、明らかに世界的な現状です。セラ-ワーダ仏教を促進するミャン マーでは、政府イスラム教徒のロヒンギャの人々の市民権を否定し、厳しく抑圧し ています。マレーシアでは、国家公認宗教はイスラム教スンニ派で、シーア派のイ スラム教徒は密かに集まって礼拝しており、歴史的なヒンズー教寺院は当局によっ て破壊されています。サウジアラビアのようなイスラム国家では、他の信仰の実践 が禁止されていますし、
学校の教科書では明確にユダヤ人を差別しています。共産 党主導の中国では、政府が大幅にチベット仏教徒を弾圧し、屋外で礼拝するキリス ト教徒を逮捕しています。 これらは、文化的及び政治的な動機に要因する世界的な宗教的不寛容のごく一部の 出来事にすぎません。私たちが何処で生活しようとも、またどのような信仰告白を しようとも、信仰の自由は私たちから誰も取り去ることは出来ないのです。
パキスタンの不寛容 宗教の自由への脅威と人間の権利を制約させている力とを持つ国がパキスタンで す。植民地大国である英国が1947年にインドから撤退すると北西にイランとアフガ ニスタン、南東にインドと中国に囲まれたパキスタンは、その存在を現し始めまし た。今日パキスタンイスラム共和国は世界で6番目に多い1億8,700万人の人口を有 しています。人口の約96%はイスラム教徒(主にスンニ派)であり、残りの4%は 主に、キリスト教徒やヒンズー教徒です。 パキスタンでは近年、宗教的不寛容と暴力の波が増加しています。パキスタン政府 はこのような動きに対して2011年に『パキスタン人権擁護委員会』の設立などを国 内で始めましたが、一方ではパキスタンのタリバンのような暴力的な過激派グルー プが支配力と暴力の脅威を増大させています。
彼らの標的は、シーア派イスラム教徒、スーフィー(イスラム教の神秘主義者)、 アーマディス、ヒンズー教徒、シーク教徒、そしてキリスト教徒などです。 タリバンなどの暴力組織に陰ながら力を与えているのは、国家の『不敬罪刑法』で す。パキスタンの国家刑法により、コーランの教えに反した、また預言者ムハンマ ドの名前を冒涜したとする不敬罪は牢獄における終身刑、そして死刑です。この刑 法は簡単に活用され、罰せられる理由の証拠や申し立てを行う必要はなく、誤審に よる罰則もありません。未だ誰も『不敬罪刑法』の名目で死刑を与えられてはいま せんが、多数の被告人は、聴聞会を経て刑務所や裁判所の外で殺害されているので す。 『反アーマディ法』は、迫害と暴力に役立つ別の法律です。1974年に施行されたこ の法律で、アーマディーというイスラム教の少数民族は、自分たちの風習に従って イスラム教の宗教行事を行っていることについて、『イスラム教徒を装う見せかけ だけの偽イスラム教徒』と見なされ、犯罪者として扱われています。アーマディは パキスタンで最も深刻な迫害を受けている少数民族で、猛威をふるう暴力で苦しん でいます。 アメリカ合衆国の国際宗教自由委員会は次のように報告しています。『不敬罪刑 法』と他の宗教を差別する法律(例えば反アーマディ法)は、狂暴な過激主義者と 自らを守る自警主義の状況を作り出しました。 増大するする宗教的過激主義は、パ キスタン国内で人権と同様に他の宗教や他の宗教を信じる信仰の自由を脅かし、特 に女性と少数派宗教の信者と、『反イスラム』と過激主義者たちによって看做され た多数のイスラム社会の人々を苦しめています。
抑圧された者たちのヒーロー 勇敢なる人々は、パキスタンでの宗教の自由と宗教的寛容を支持しようと努力しま した。その中の一人は、パキスタンで最初のキリスト教徒で2008年から2011年ま での『少数民族』担当の連邦大臣を勤めた、シャバー・バッティでした。バッティ 大臣は祖国の少数民族の保護に関わることを約束し、宗派を超えた意識を促進する ために国際的行動を繰り広げて、刑務所内に非イスラム教徒のための祈願室や『少 数者の日』を設置し、宗教的暴力を24時間に渡り報告するホットラインを開きまし た。 さらに彼は祖国の『不敬罪刑法』を改正しようと努力しましたが、それは反対勢力 の増長に結びつきました。2009年には、彼は法律への反対および少数の権利の擁護 に対する反対勢力から、死の脅迫状を受け始めました。 2011年3月2日に、彼は閣議へ行く途中に母親の家の外で殺害されました。 バッティ大臣の死は、同じように『不敬罪刑法』に反対していたパンジャブ州知 事、ソォモン・レッサーが暗殺された丁度2か月後に生じたのでした。バッティ大 臣は彼の死に先立つ4か月前の記者会見で、彼に対する死の脅迫状、および彼の政 治活動に対して自分に動機を与えた目的について振り返っています。 「暴力の力。。。パキスタンで過激な思想を持ち、そして彼らに過激な思想を植え
つけている者に対し、また逆にその脅威に対して立ち上がっている者に対して、私 は注意深く観察を怠りません。『不敬罪刑法』廃止や『シャリア法』反対運動を主 導している時、抑圧された人々、キリスト教と他の少数民族に関する話をするとき に、タリバンが私を脅かします。しかし、私は自らの命を私たちのために捧げてく ださったイエスキリストを信じることを共有したいと思います。 私は十字架の意味とは何か知っていますし、私は十字架に従って参ります。 私は死ぬための準備ができています。私は社会と苦しむ人々のために生きており、 自分の権利を守るための死を厭いません。従って、これらの脅威と脅迫は、私の考
えの行動の主義を変えることは出来ません。私はこれらの脅迫で妥 協するよ りも、私の共同体の正義のために私の主義・主張のために死ぬことを望んでいま す。」 シャバー・バッティは自分の言葉に拠って生き、言葉によって亡くなりました。。 パキスタンのすべての人々に、早く十字架の力と十字架による転換の自由が与えら れますように。

祈りましょう
パキスタンの少数派の人々に平等の権利と必要な保護が与えられるように。
政府が『不敬罪刑法』と『反アーマディ法』を廃止し、宗教の自由を維持するた めの措置をとることを継続し、そして正義に対して振る舞われる暴力的な犯罪者を 減少させること。
パキスタンの人々が世界のためにご自分の生命を与えられたイエスキリストを見 出すことが出来るように。


Ryan Davis 著
梶木 明一 訳