2012年9月 スロベニアにおける霊的無学

[2012年9月カレンダーとプロフィールをダウンロード]
ウルシュカは家に帰るまで、その日覚えた教理問答集を繰り返しながら、通学かばんを前後に揺らしました。彼女の両親はカトリック教徒で、彼女が神について学べるようにと小さな私立学校に入学させていました。しかし彼女の友達のほとんどは、彼女の学校、聖テレサ校の真向かいにある公立学校へ行きました。公立学校の教師達は生徒達に神に関する話をしません。実際に、ウルシュカの友人達は「神様なんて本当はいないわよ」と彼女に言っていました。ウルシュカは振り返ってその公立学校を見ました。「友達の言う事が本当なのかしら?」

経済の繁栄と霊的無学
生い茂った森、青緑色の湖、急な山の斜面の間にそびえる城、アルプスとアドリア海が出会う位置にあるスロベニア共和国は、並はずれた自然美と激動した歴史の両面を持った国です。
スロベニア人は、第二次世界大戦後、セルビア人、クロアチア人と結束してユーゴスラビアを建国しました。スロベニアは1991年まで規制の厳しい政権の下にありましたが、ほとんど流血なしの十日戦争によって、ユーゴスラビアからの分離独立を投票で決めました。
それ以来、この独立国は比較的平和な状態を築き上げてきました。スロベニアはヨーロッパの中では最も生活水準の高い国の一つで、かつて共産圏だった国々と比べれば特にそうです。平均的なスロベニア人は高校を卒業し、年収は約3万ドル、平均寿命は77歳です。国家は安定した議会制民主主義の政府で、2004年に欧州連合に加入し、それがさらに経済の繁栄を高めることになりました。
しかし、スロベニアの経済と教育の安定は、霊的無学さを覆い隠しています。第二次世界大戦までは、カトリック系キリスト教が国教として認められ、公立学校で教えられていました。良い教育とは道徳の本質を考慮するものであり、道徳は宗教心なしでは教えられないものです。事実、宗教教育は他のすべての教科の基礎として配慮されるものです。
しかし第二次大戦後、それは変わってしまいました。キリスト教主義の教えが学校から取り除かれ、無宗教の世俗的な倫理教育に取って変わりました。教室は共産主義の宣伝機関になりましたが、それはすべての教科に組み入れられた無神論という宗教に他ならないのです。さらに悪いことに、私立学校は禁止され、家族に公立学校以外の選択肢はなくなってしまったのです。子供達は家庭では神について学ぶことが出来ても、学校では無神論を教え込まれていました。何世代かの生徒達は神を教育や人生とは何の関係もないものと考え、神について何も知らないままで育ったのです。

無宗教者達の影響力
1991年にスロベニアが共産国ユーゴスラビアから離脱した時、学校制度は多元主義、寛容性、人権を基礎として確立されました。公立学校は教会、国家から厳格に分離されるべきという理由でキリスト教は受け入れられませんでした。しかし、私立学校の禁止が解除され、
クリスチャンの家庭に今までより大きな宗教的自由が与えられました。もっともこの変化は、共産主義の学校制度で教育された人々にとっては遅すぎたかもしれません。すでに彼らの多くは、宗教を時代遅れで、不必要なものと考えているからです。
寛容的な新しい政権で教育を受けた子供達でさえ、無宗教主義に強く傾いているのがわかります。2002年にはスロベニア人の57.8%が自分はカトリック信者と名乗りましたが、その数値は1991年の調査から15%下がっています。新しい教育制度になって11年後、この国のクリスチャンの15%は彼らの信仰を捨ててしまったのです。何とか信仰を保っている人達はしばしば困惑したり信仰から離れたりするものです。2005年の調査では「ある種の霊や、命に働く力があることを信じる」を選んだスロベニア人は46%いる一方で、根本的な言明である「神がおられる事を信じている」と確信している人はたったの37%でした。
これらの数字はスロベニアの悲惨な霊的状態を現しています。悲しい事に無宗教化の傾向はヨーロッパ全土に広がっています。例えばオーストリアでは厳格な無宗教の教育制度が、社会の繁栄、安楽、寛容とあいまって人々の信仰心に大きな弊害をもたらしています。多くの人々は神が必要であると認めません。聖書に基礎を置かない教育を受けた子供達は霊に関して無関心な若者になってしまいました。

失われた人達を見つける
スロベニアの多くの人々、特に無宗教の学校制度で育った人々は、主から離れてさまよってきました。しかし、聖書は失われた人々に対する神の熱い思いを語っています。「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか」(ルカ 15:4
神は、愛情深い羊飼いのようにスロベニアの人々を追い求めておられます。福音が実を結ぶために戸は開かれています。スロベニアで無宗教化に力を入れた寛容政策そのものが、この国で宣教師達が自由に働ける道を開きました。国際学生宣教交流会(IFES)などのグループは、クリスチャンの大学生達を伝道の仲間としてスロベニアの大学に送り出しています。ZVEShと呼ばれるプログラムは、スロベニアの学生達と親睦を深めることを組み入れています。ある学生の宣教師は言いました。「学生達は皆、自分の意見を本当に楽しそうに話してくれました。・・・私達は多くの学生達と福音を分かち合う事が出来ました。そして、彼らが他の情報では得られない答えを提供する事が出来ました。彼らの間で、答えを捜し求めているという実感がありました」
教育を受けながらも霊的に貧しい世代への神の愛は、繁栄への肉的快楽や無宗教主義に対する強力な力です。それは国や大陸のアイデンティテイを変革させるほど力強いものです。スロベニアに福音のリバイバルが起こり、この国中、また隣国のいたる所までそれが広がるように期待し祈りましょう。

祈りましょう
・スロベニアの子供達、十代の若者達、大学生達が開拓伝道の学生グループのメッセージに心を開きますように。
・一般のクリスチャン達が、イエス・キリストへの真の個人的な信仰に目覚めますように。
・スロベニアの無神論者の国民が福音を受け入れますように。
・スロベニア人が、新約聖書の翻訳書やキリスト教文学を通して、聖書としっかり繋がっていきますように。
・意味深く、実り豊かな教会が建てられますように。

アリーナ・サイル著
大西和子 訳