2012年3月 日本

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みのるは教会の牧師に何人かの友達を紹介する事を、顔には出さないように隠してはいたが、興奮していた。彼の大学の友人であるバスケ部の仲間達は、みのるのキリストへの信仰に対し興味を示していました。そして、みのるがケガをした選手に祈り、彼が皆の目前で癒された時、大きな変化が起こりました。日曜日の朝の礼拝後の今、みのるは数名の若者と共に牧師と話す準備が出来ていました。その牧師は、彼らの何人かは経験した事のない、暖かな真の父親のような親しみやすさがありました。しかし、みのるが洗礼を受ける為の必要事項として、奉仕に加わる・教会に十一献金をする事等を聞いた時に、日本でクリスチャンであるのは、彼らが考えていたより難しい事が明らかになりました。彼らが毎週日曜礼拝に参加しなければならないのなら、バスケットの試合はどうすれば良いのでしょう?イエスを信じた結果、彼らはバスケット部の活動を諦めざるを得ません。


教会と伝統「未伝道」の国、日本は平均出席者が1教会に35人だとしても、8千近くの教会があると誇る事ができます。日本のクリスチャンとして残された人々、日本の人口の0•4%が毎週教会に出席しています。しかし約5%の日本人は、
自分はクリスチャンであると告白しています。日本は洗礼を受け、信者ではあるが、何らかの理由で教会に出席する事を止めた人達で一杯です。
日本の教会で、受洗する事は家族や、他の繋がりに犠牲を払っている事が多々あります。仕事で忙しい日本男性のライフスタイルを見ると、日本の教会で、女性の参加者がアンバランスに人数が多い事も、驚きではありません。教会のプログラムに参加する為に週1日の休みを諦める事は、大きな犠牲なのです。
日本は2009年にプロテスタント教会150周年を祝いましたが、この150年間、西洋のプロテスタント的主義が日本のクリスチャンによって受け入れられ、日本のほとんどの教会は、西洋スタイルの教会の建物・神学校で訓練された牧師やリーダー・日曜朝の礼拝があります。
私達は心から、私達の前に熱心に働かれた方達に感謝をしています。それと同時に人が作った伝統を、打ち破る柔軟性を非常に必要としています。この伝統が平均的日本人の教会の一部となり、それが教会のコミュニティーの中で弟子訓練される事を妨げているのです。

ひび割れるのが堅い殻のナッツ豊かに繁栄し、知的レベルも高く、必要を自分達で満たす事に誇りを持っている為に、日本は宣教世界の中でも固い所として有名です。日本においての教会成長は過去60年間、年間1%に留まっています。ハウスチャーチ、有機的な教会、シンプルな教会モデルが影響を与え始めていますが、信者を整えて、彼らの職場、学校、地域の中で人々を弟子とする為にはさらなる前進が必要です。
日本の教会の成長が遅い理由の一つに、人々の家族や、職場などで関わるグループに対しての強いコミットメントがあります。
日本における典型的な宣教は、人々が持っている共通の繋がりやグループの事を考慮せず、個人伝道が行われてきました。クリスチャンになる事は、グループに対する裏切りや反抗であると見られ、結果として一握りの人々だけが、そのようなコミットメントをする事ができるのです。
これは教会にとって最大の難関と、良い機会の両方でも有り得るのです。
もし、信者の関わっている繋がりのあるグループ全体へ、影響を与える為に整える事ができれば、伝道は人々を普段持っている環境から切り離す事ではなく、信者の普段の繋がりに神の御国を持ってグループ全体にインパクトを与える事になるでしょう。これは初代教会が経験した「社会の中のドミノのような影響」をもたらす事もできます。

力と愛により歩む事多くの人々は、宗教に対して「愛と憎しみ」の関係を持っています。
日本人の多くは疑いの目を持っています。また、新しく信者になる可能性のある人々は、1万以上ある「新興宗教」が握っています。それらは仏教・キリスト教・ニューエイジですが、日本人の考えの中で永遠に1995年東京の地下鉄サリン事件を起こした自殺的なカルトであるオウム真理教に結びつけられてしまったのです。
しかし、同時に多くの西洋人のように、標準的な日本人は「神」が誰かを知る事に関心があり、神を経験する事に心を開いています。しかし良く教育された日本の社会において、キリスト教は他の多数派の宗教と一緒に、世界の哲学の中の「数あるうちの一つ」とされてしまったのです。
しかし、たった一つの超自然的な奇跡の経験は、最も頭の固い知性の強い人の心を開く事ができます。
一人の人が、また日本の地域全体がしるし・不思議・奇跡でインパクトを受けたケースは歴史に沢山あります。
日本の教会はイエスと初代教会のモデルに戻る必要があります。ーそれは信じる者に伴うしるし(マルコ16:17)、そして「言葉」だけではなく「力」(1コリント2:4)ーです。それは、現実的な神の愛を超自然な働きを通して見せる為です。

世界への贈り物日本は世界の中で独特な歴史があります。
250年間(1633年から1868年まで)鎖国をして外国の影響を閉め出し、20世紀初頭には世界中でも強い国として甦りました。
凶暴な将軍達は彼らの権力を、日本がアジアの大部分の国々を侵略する為に悪用しました。そして日本の戦時下の野望は、第二次世界大戦の悲劇的な敗北でクライマックスを迎えました。しかし、日本は灰の中から甦り、世界工業とテクノロジーを独占するまでになったのです。「世界の支配者」になる願いの多くは、日本が国々を祝福し仕える為に神から与えられた賜物が、歪んで現れたものです。日本の侍、勇士のスピリットーまた、仕える事や忠誠心に価値を置く事は、世界中に知られ多くの賞賛を昔も今も得ている美徳です。
トヨタやソニーのように信頼があり、手の届く価格のアイテムを製造する事は、ある意味、車やテクノロジーの分野において世界に仕えたと言えるでしょう。日本の教会が、国々に仕え多くを王国の中に導く日が来ています。
日本の教会に必要なのは、その賜物に従った方法で自分達の信仰を現す事です。過去の伝統と未来の可能性の間の十字路で、教会は止まっています。私達は聖霊が、日本にインパクトを与えまた世界を祝福するようなはっきりとした使命の中に、教会を生み出す事を祈らなければいけません。

祈りましょう。・ 日本の牧師やクリスチャンのリーダー達が、神の言葉と聖霊の導きを西洋の伝統より上に価値を持つ事ができるように。
・ 福音を広げる為に教会が、普通にある共通のグループを用いる事ができるように。
・ 日本のクリスチャンが、しるし・不思議・奇跡の中を歩く事で懐疑主義と知性重視主義を打ち破るように。
・ 神が世界を祝福するために、日本人の中に与えた賜物が解放されるように。

Simon Cozens & Jef Linscott 著
相馬伸子 訳