2012年6月 世界中の安楽死


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介護施設が入居者のためにイベントを行った時、ジョンとシビルは廊下でその騒動を聞いた。今彼らは80歳後半、休息を取ったり読書をしたりするのを好んでいた。ジョンが新聞のページをめくると、タズマニア議会での安楽死についての議論の見出しが目に入った。彼はシビルを動揺させたくなかったので、この法律の可決がどのように彼らに影響を与えるか、密かに心配していた。彼らの二人の子供達は両方とも他の国に住んでおり、ジョンは、彼らが自分たち夫婦の世話をする財源も時間もない事を知っていた。もしジョンとシビルが、自分たちのための決断をする事が出来なかったら、一体どうなるのだろうか? ジョンは、自分と妻が、選択の余地のない安楽死の可能性から守られるように祈った。
生と死聖書の第一章は、地とその中のすべてのものを造られた神の美しい物語を詳述している。神の最後の創造物である人類は、他のものより卓越していた。神は、それはただ単に良いというだけでなく、
非常に良いと明言した。更にもっと重要な事は、人間は、神のかたちに造られた唯一の創造物であるという事である(創世記1:27)。人間の生命に対する神の愛は、聖書の最初から最後のページに至るまで、非常に明白である。
安楽死の施行は、神が生命に与えた価値とは全く対照的である。記録された歴史の様々な時代の中で、安楽死は一般的であったりまた非難されたりもした。
古代のギリシャやローマの文化では、安楽死はある程度の頻度で行なわれたが、キリスト教の普及につれ、施行は次第に避けられていった。安楽死を合法化しようとしている人々によって、何回か訴訟がもたらされた時、主にキリスト教の影響により、安楽死に対する姿勢は前世紀まで否定的であった。1990年代まで、すべての訴訟は成功しなかった。現在、安楽死は、多くの国や州で合法化されている。現代の安楽死論議において、用語は類似しているが異なっている言葉が含まれていて、混乱を招き易い。安楽死は、一般に、末期の病気や治療不能な状態からくる苦しみの人生を終わらせる医師や他の人による行為として定義づけられている。安楽死による死は、自発的、又は不随意によるものかであり、それには、積極的、又は受け身的(例えば、栄養管を外す)な処置が含まれる。医師のほう助による自殺は、安楽死と類似しているが、医師が、病人自身の生命を終わらせるための方法を提供したという点において異なっている。安楽死に関する法律も同様に混迷している。ある国々や州では、安楽死や医師のほう助による自殺は明確には許されていないが、その一つまたは両方を犯罪と見なさないとう選択をしている。


世界的な問題1995年、オーストラリアのノーザンテリトリー(北部地域)は安楽死を合法的にした世界の最初の場所の一つとなったが、オーストラリア連邦議会は、その2年後に法律を覆した。それ以来オーストラリアでは、何度か合法的な安楽死を再び回復させようとした。そして2011年、タズマニアの擁護団体は以前のどんな企てよりも思い切った法案を導入した。この法案は、医師に患者の生死についての決定権を与え、彼らを起訴から守るものだが、その一方で患者への保護はほとんど提供されていない。HOPE(安楽死合法化支持に反対するグループ)のディレクターであるポール・ラッセルは、南オーストラリアの法案は「多分、私が今まで見たもで一番危険なものの一つであろう。私の意見によれば、老人、弱者、身体障害者、声を挙げる事の出来ない者は、彼らが死ぬのを見ようとしている医師の気まぐれに委ねられている」と言っている。
あるヨーロッパの国々もまた、安楽死と医師のほう助による自殺に対する規制を緩和している。安楽死は、ベルギー、オランダ、ルクセンブルグでは合法である。2002年、オランダは、安楽死を完全に合法化にしたヨーロッパで最初の国となり、過去10年間、死亡数は着実に増加している。2009年には、2,636人以上の人々の安楽死が報告され 2、これらの多くは望んでいない死であった。政府の年次統計報告が不随意の死を記録した最後の年2004年に、938人が、そうして欲しいという明確な要請のないまま、生命を短くする行為によって死んだ被害者だった。
医師のほう助による自殺は、スイスでは合法である。そしてそれは、「自殺観光」として知られている。この法律は、たとえその人が末期症状の病気でなくても、どんな国の人にでもスイスに来て、人生を終わらせる助けを受けるのを許可してる。落ち込んでいる人、または生活の質が減退していると感じている人もその資格がある。4,5
医師のほう助による自殺の合法化は、アメリカ合衆国でも広がっている。安楽死と医師のほう助による自殺の推進派は粘り強く、しばしば、続けて数年も,公式投票の方策を講じ、世論を変えようと働きかけている。1994年に、オレゴンは、その施行を合法化したアメリカの最初の州となった。そして、2008年にワシントン州とモンタナ州がそれに続いた。


クリスチャンの応答安楽死施行の流れを変える助けをした初代のクリスチャンのように、今日のクリスチャンもまた、生命のため、また身体障害者、老人、少数民族者、そして貧困者を支えるため立ち上がるよう召されている。これらの人々の多くは、もし安楽死の法律が合法化し続けるなら、「政権にある人々が、誰が生きる価値があり、誰が社会の「重荷」であるかを決める事が出来るようになる」という事を恐れている。クリスチャンは、様々な面で関わる事ができる。牧師や議員などのリーダーシップの立場にいる人々は、他の人々を教育し、そして全ての人々の生命を価値あるものとする倫理的価値観に対する世論に、影響を与える機会を有している。彼らの模範により、両親は、子供達が祖父母の豊富な知恵と経験を得ることを助ける事が出来る。医療関係者は、胎児の保護から貧困で生きる人々の予防治療に至るまで、一貫性のある生命倫理を擁護する事が出来る。身体に障害を持つ人は、直面している困難にも拘らず、彼らが体験している多くの喜びを社会が理解するのを助ける、ユニークな機会を持っている。どうかクリスチャンが、人生のあらゆる段階で、すべての人の固有の価値を社会に思い起こさせながら、安楽死議論の最前線に居続けるように。
「あなたは、わたしの内蔵を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。...わたしは恐ろしい力によって、驚くべきものに作り上げられた。」 (詩篇139:13–14新共同訳)

祈りましょう。・ 自発的な安楽死が合法化されてる国々や州において、望んでいない安楽死に導かれる事がないように。
・ 安楽死が合法化されている国々や州において、身体に障害のある人々と死期真際の人々が守られるように。
・ 安楽死議論がされている地域の議員達が、個々の生命の尊さを見るように。
・ 決断する家族に知恵が与えられるように。
・ 末期医療ケアをする医師達のために。

シンシア・ニフィン 著
スミス照子 訳