2012年1月 迫害されるコプト教徒たち


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祭壇の燭台を消しながらイブラヒムは煙が、美しいモザイク模様の天井に上っていくのを目で追った。毎日教会から帰宅する度に、 明日も教会が無事残っているだろうか、と 彼は案ずるのだった。彼が牧師として勤めた過去25年間、エジプトのキリスト教徒は度々非常に厳しい状況を経て来たが、革命が起こってからは、事態は更に不安定になって来ていた。イブラヒムはエジプト人として、ムバラクの政府が解散したことを喜んでいたが、キリスト教徒として、エジプト国内の不安定な事情が過激派の攻撃に機会を与えるのでは、と心配するのだった。彼の知り合いの多くは迫害から逃れるため国外に移って行った。彼は祈った。「私たちは今迄数世紀に渡りこの国であなたを礼拝してきました。主よ、どうか我々が持ちこたえられるよう、助けて下さい。」と。
豊かな歴史神はイスラエルの民を砂漠の中を導き、また神は天使を遣わされ、ヨセフにマリアと幼子を連れベツレヘムから隣国へ逃げるよう伝えた。
このようにエジプトは神とその子供達の物語の中で大きな役割を果たしてきた。 遥か昔からキリスト教徒達はエジプトに住み続けて来た。伝承によれば、イエスの昇天からまもなく、書簡を記したあの使徒マルコがキリストの教えをもたらし、7世紀にイスラム教徒が侵略してくるまで、キリスト教はエジプト最大の宗教であった。5世紀にコプト派はキリストの神性をめぐる神学論争の結果伝統的教派から分裂した。今日コプト派キリスト教徒の人口は約80万人にのぼり、エジプト人口の1割を占める最大の少数派だ。エジプトの歴史の大部分に渡り、コプト派クリスチャンはイスラムが治める国で、ずっと迫害されて来た。

体系的差別前首相ムバラク下の警察国家ではキリスト教徒達はある程度保護されていた。権力を保つため、ムバラク政府は集会を禁止し、過激集団を違法とした。しかしながらコプト派キリスト教徒たちは、イスラム教徒が治める国でキリスト教徒やユダヤ人にあてはめられるディミという最下層の名称で呼ばれ、差別を受けて来た。 ディミはもはや法的名称ではないが、いまだに一般的に使われている。エジプトの支配階級や、社会の大半、学者層の多くは、異教徒であるキリスト教徒たちは、イスラムが主流を占める社会で平等の権利を与えられるということを考える事も出来ない。

コプト派に対する差別の種類は数えきれない。キリスト教徒の名前を持った者達は職を与えられない。仕事に就いている者は、どのような事があっても、同僚のイスラム教徒に楯突くと、職を失う事につながる。キリスト教に転向するイスラム教徒は身分証明書を発行されず、政府に受け入れられない。エジプトの法律ではキリスト教,ユダヤ教,イスラム教を侮辱することが禁じられているが、公立学校の教科課程には、キリスト教徒やユダヤ人たちへの差別が組み込まれている。キリスト教徒の悪口を唱える者達は国のテレビやラジオに出演を許され、差別をあおる。コプト派の8割が貧困の生活にあえいでいる。ゆうに2万人がカイロ市郊外の巨大スラムに住み、ゴミ分別や人の嫌がる仕事を与えられている。キリスト教徒の若者は教育を受ける権利を持っているが、多くの少女や若い女性は、家から外へ出ない。 数多くの若い女性がさらわれ、無理矢理回教に転向させられ、 回教徒の男性との結婚を強いられ、再び家族の顔を見る事を許されないのだ。

キリスト教徒と回教徒の間のもめ事は、捏造された噂から始まる事が多い。例えば、2011年5月、イスラム原理主義者たちは、キリスト教徒たちがコプト司祭の妻を監禁し回教への転向を止めさせようとしているという噂に反応し、ギザ市内のコプト派教会2棟に火を放って焼き尽くした。この事件について、ギザ市の司教アンバ・セオドシウス氏は、「これ等は計画されたものだ。我々には法律も安全もない。まるでジャングルにいるような混沌の状態だ。一つの噂で、一区域が焼き尽くされてしまう。毎日のように大惨事が起こっているのだ。」 と言っている。
キリスト教徒達は、この種の攻撃にさらされるのみならず、暴徒からの保護を殆ど与えられない。例えば、ムバラク首相の下では、教会の建設や改造は首相の特命なしには許可されず、非常に長引いた。ある僧院を暴徒が攻撃してくるので、その周囲にキリスト教徒たちが塀を作ったところ、許可無しに作ったということでエジプト軍が来て取り壊してしまった。コプト派の区域で暴力や破壊があった折は、決まって事がおさまった後で警察が現れる。その後キリスト教徒達は加害者と『仲直り』するよう命じられ、悪者達が正義に裁かれる事は滅多に無い。

希望の兆しエジプトのキリスト教徒達は未来を希望と慎重さを持って眺めている。サブリというあるキリスト教徒は新たな時勢に明暗双方を観る。「ムスリム同胞団や過激派が国会に勢力を得るのが心配だ。彼等が憲法を書き換えたなら、必ずやキリスト教徒の立場が難しくなる。彼等は国際的支持を維持するため、巧みに事を運ぶだろうが、暴力に訴えるだろう。」不透明な事態の中、サブリはそこにかかわるチャンスも見て取った。「今や、回教徒達は 私たちにストレートに質問をして来る。このごろは地下鉄に乗るたびに、だれか真実を知りたがっている男性、女性に話しかけられる。」

他にも、希望の兆しが見られる。2011年5月のコプト教会攻撃の後、スンニ派の指導者達がキリスト教徒たちと会合し、政府はエジプト軍に教会を再建させることに合意した。暫定政府内のある委員会が現在立法を検討しているのは、モスクや教会の前の抗議集会を禁じ、キリスト教徒に回教徒達がモスクを建てるのと同じ自由を与える法律である。エジプトの状況は中近東のアラブ諸国内のキリスト教徒すべてに影響することだ。 いつしか「エジプト人とアッシリア人は共に礼拝する」日が来るよう、 世界中のキリスト教徒達が、祈りますように。そして「万軍の主は彼らを祝福して言われる。『わたしの民エジプト、わたしの手でつくったアッシリア、わたしの民イスラエルに祝福があるように。』と。」(イザヤ19:23-25)

祈りましょう・ エジプトの新政府形成にキリスト教徒達の声が反映されますように
・ 世界諸国がエジプト国民全てに平等な権利を与えるよう権力者に働きかけますように
・ コプト派の神父や信徒の主導者たちが英知と勇気を持って信者達を力づけ、導く事が出来ますように
・ 回教徒達が近くのキリスト教徒たちの模範と愛によってキリストを知る事ができますように。

シンシア・二フィン 著
渡邊美樹子 訳