2011年10月 レバノンの女性


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シェイダの信仰の旅は、友人からクリスチャングループの集いに誘われた時から始まりました。イスラム教徒ではありましたが、興味があったので行くことにしました。そこで、暴力的な関係から逃げて、肉体的にも精神的・霊的にも解放され自由とされた女性の話しを初めて聞いたのでした。6ヶ月後の今、シェイダが、その集いの会衆の前で彼女の過去・イエスキリストにある彼女の信仰を話すようになっていました。




定観念を超えて

レバノンの女性達は足首までの黒いドレスにブルカと呼ばれるベールを被っています。また、ミニスカートにブーツをはき海岸沿いをぶらつき、美容整形手術の派手な宣伝のビルボードを憧れとしています。誤解された中東女性像が、テレビ・映画・インターネットを通して流されています。このような固定観念と文化的な誤解の裏側で、レバノンの女性達は周囲の人々に声を上げ始めています。
美しくなれる自分
「かかりつけの美容師にいくら支払っているのかわかりません。給料日ごとに、私は4~5万円を支払います。実際、美容師はセラピストみたいなもので、私が機嫌の良くない日にその店へ行き、髪を整えて貰う間、彼は、私が店を出れば男性達から声を掛けられるくらいに、どれほど素晴らしく、美しいのか語ってくれるので、気分が良くなり、金額は全く気にならないのです!」
レバノンの首都ベイルートの女性が日々直面する戦いは、常に容姿を美しく見せると言う重いプレッシャーです。銀行が形成手術にローンを出す都市では、美容整形後の絆創膏の貼られた鼻に、打撲した様な傷のある目をした女性達(そして男性)が歩いているのをよく見かけます。彼女達もまた週5回可能な限り掛かりつけの美容院へ通い、眉・唇・髪全てを完璧に綺麗にしてもらいます。この容姿に対する執着が多くのレバノン女性にとって束縛となっています。最新の服を持ち、シワを消し、髪を整えるといった競争の中、多くの女性は理想の奴隷となり、自分自身を見失っています。
レバノンで連続して起こる戦争(1975年に始まった内戦と2008年迄続いている暴力行為)が、現在の女性を作りあげました。食べて、飲んで楽しくしましょうよ!戦争の中、明日は本当に死ぬかもしれないのですよ。知らず知らずの間に、この様な思考がレバノン中(教会の中でさえ)の女性達の内に入り込んだのです。しかし、女性達が集まれる幾つかのセンターでは、美しさとは容姿でも、顔でもない事を学んでいるのです。ここでは女性本来の価値が建て直され始めているのです。

深刻な虐待
「私はレイプされました。私の叔父は、9才の私を虐待しました。母には言えませんでした。母もまた子供の頃虐待された経験がありました。 私が無力であるように、母も私に対する虐待を止めさせる事ができないと分かっていました。また、父の兄弟を訴えることは家族を二つに裂く事になるので、父にも言えませんでした。中東の家族では、皆それは決してしてはならない『1つ』の事であると知っています。それで他の女性家族同様、私は家の為耐えました。しかし今では、私は回復され、他の人が回復されるのを手伝うことを学んだのです。」
悲しいことに、虐待は多くのレバノン女性にとって生活の一部となっているのです。統計では、レバノン女性の3分の1が身体的・性的、又は言葉の虐待を受けています。加害者は多くが家族であり、家族にとっては屈辱的なものです。虐待は多くの家族で身近なものとなり、今では3世代に渡り女性が何らかの虐待を受けているのです。
このような中、希望の光が見えています。レバノンの教会、非政府組織(NGO)が安心・安全な環境で子供達が育てられる場所を提供しているのです。どんどん女性達が虐待に反対を唱え、自由と安全が見つけられるように被害者を助けています。人々が暴力について語り始めるにつれ、この酷い虐待のサイクルは止まり、無くなっていくことでしょう。

平等な対応
「私はただのコップで、彼が彼の種をこのコップに入れ、条件さえ合えばそれは赤ちゃんとなるのです。私の息子の出生は父親からもたらされたもので、私とは無関係なのです。ですから、私の息子は、私からの市民権を受け取りません。所詮男性だけが重要なのです。」
女性が生命にとって重要ではないと言う考えが浸透しています。女性が男性ほど貴重でないことは、中東の文化と宗教の歴史的な信仰から生じています。NGOはレバノン中で沸き上がっている女性問題−女性の市民権保障、女性の労働確保、メディアの中の女性像−に焦点を当てています。レバノンの女性達は、平等に道が開かれる為に努力しています。
レバノン社会は西洋社会のように男女平等が許されていませんが、女性達は決して弱くはなく、独断的で強い意志を持っています。これはレバノンの文化的背景の一部で、全ての子供達は将来の為に、強く、熱心であるように育てられます。ベイルートの女性が中東の他のどこよりも多くの自由を許されているのは、この伝統に由来します。

教会の対応
レバノン女性が直面している問題は複雑で、解決は容易ではありません。福音は、イエスにある希望—イエスが再びこの地に戻って来られ、全てを義とされる—が正義をもたらすとあります。これを土台にレバノンでは教会が立ち上がり、困難な場所でも、正義をもたらしているのです。孤児院で、女性支援センターで、聖書勉強会において、家庭集会において、そして日々の会話の中で、キリストの体である教会は、正義、恵み、希望をもたらし始めています。


祈りましょう。
・ レバノン女性が、空虚さ・虐待と不平等の束縛から自由になるように
・ 虐待を受けた女性に教会が手を差し伸べ支援し、その女性達が十字架による癒しを受けられるように
・ 多くの女性がキリストにある自由を聞き、主を崇められるように


リン・オウサ著
山根 直美 翻訳