2011年7月 ナイジェリアの社会的混乱


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小さなアパートに寝泊まりする事は、オディオンにとってはとても奇妙な事でした。ましてや普段は肌身離さず持っていた弾薬とライフルなしに外出する事など考えられない事です。3年以上の間、彼はニジェールデルタの沼地で野宿をしながら、油田施設とパイプラインを攻撃する反政府グループの一員でした。しかし、仕事を始めるための職業訓練と資金を給付されると言う約束によって、彼のグループは、恩赦と引きかえに武器を引き渡し投降しました。その時、オディオンには2つの疑問がありました:それはいつ、資金を受けとれるのか?そして、どんな仕事を始めるべきなのか?と言う事です。

ニジェールデルタ
ナイジェリアでも、世界の他地域と同様、石油はお金と力を意味します。そして、私たちの世界においてお金と力は、しばしば腐敗と暴力を意味します。数年の間、ニジェールデルタは、ナイジェリア軍隊と石油産業界の戦場でした。そして、約1万人の反乱兵士が他の地域において反乱を起こしていました。反乱兵士たち(大部分は青年)は政府の腐敗を非難し、政府が石油産業の収益から得る財政を一般人に給付するように要求しました。彼らは石油産業労働者を誘拐し、石油パイプラインを吹き飛ばし、大量の原油を盗みました。これらの攻撃によってナイジェリアは何百万ドルもの損失をこうむり、何千人もの人的損害を受けました。
2009年に、政府は武器を引き渡した反乱兵士たちに恩赦を与え、職業訓練と資金の提供の公約を立てました。ニジェールデルタの反乱兵士たちは、公開された会場に、機関銃とロケット発射装置を積み上げました。この平和の試みにもかかわらず、一部の情報筋は、元反乱兵士たちに早く仕事を与えないならば、彼らが再び暴力行為に関与し始めるだろうと心配し、政府が武器廃棄の国際規約を守らなかった時から、他の批評家たちは没収された武器が堕落した当局の手を通過して、反乱兵士たちの手に再び渡るであろうと懸念しています。
2010年、ウマル・ヤアルダ大統領の死後、グッドラック・ジョナサン大統領が国の指導権を引き継いだ際、彼はより多くの努力が必要であると述べました。CNNのインタビューにおいて、ジョナサン大統領は、恩赦プロセスが3つの段階を含むと述べました:武装解除、職業訓練、そして国民の再統合です。彼は、長い間暴力行為に関与していた若者のために、過度の飲酒を慎む等の具体的な指導が必要だと述べました。職業訓練の過程において、彼らの物の考え方を指導しなければならず、彼らがまともな生活を営むための技術を学ばせなければならないと述べています。

高原台地
政府は、南部地域で元反乱兵士たちの暴力を止めさせ、職業訓練に取り組む一方、中部ナイジェリアの高原台地地域で進行中の暴力にも対処しなければなりません。ここでは、暴力は石油産業との関連ではなく、長年の少数民族との政治的および経済的、また宗教的な緊張によるものです。高原台地地区は、主にイスラム教の北アフリカとキリスト教の外部サハラ砂漠の間に位置しています。多くの民族集団は、ジョス市の近辺に居住しています。そして、その地域に古来から住んでおらず、原住民として認められていない集団は地域の政治勢力から差別されています。この摩擦は、民族集団、キリスト教徒とイスラム教徒との間でぞっとするような暴力に至りました。人権監視委員は次のように報告しています。
ジョスの前例のない暴力事件の発生は、2001年9月に1千人もの命を奪いました。2004年5月には、高原台地南部のイェルバの町のコミュニティ間の衝突で700人以上が死にました。また、少なくとも700人が、2008年の11月28日と29日にジョスの暴力事件で死にました。1月17日にジョスで再び分裂主義者たちが暴力的な衝突をおこし、暴力沙汰が近隣の村々へと拡大しました。
2010年3月7日、銃となた、ナイフで武装したグループが高原台地の中心地のジョスから10キロの、ドゴ・ナハナ、ゾット、ラツサットの村を暴力で襲い、多くの女性と子供たちを含めた死者がでました。200人以上のキリスト教徒が虐殺されましたが、これはイスラム社会への攻撃の報復と伝えられました。
警察は、容疑者の数百人を逮捕しましが、政府は起訴と罪状認定ができませんでした。ナイジェリアの内外で批評家たちは平和を確立するために、襲撃が起こったあと、政府が素早く、そして、責任を持って処置を行なうべきであり、犯罪に対して責任がある人々を処罰すべきであると言っています。犯罪が罰されないとき、警察、および政府の腐敗が明からさまになり、状況の安定化を望む人々の期待は無惨に裏切られてしまいます。

正しいことを行おう
聖書は、法律、政府と権威について多くの事を語っています。ローマ人への手紙13:1~4、はナイジェリアの状況について語っています。
「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。支配者を恐ろしいと思うのは、良い行いをするときではなく、悪を行うときです、権威を恐れたくないと思うなら、善を行いなさい。そうすれば支配者からほめられます。それは神があなたに益を与えるための、神のしもべだからです。しかし、もしあなたが悪を行うなら、恐れなければなりません。彼は無意味に剣を帯びてはいないからです。彼は神のしもべであって、悪を行う人には怒りをもって報います。」
また、この節は、正しいことをするための暗黙の指示を政府の指導者に与えています。
「力ある者よ。ほんとうに、お前たちは義を語り、人の子らを公正にさばくのか。
いや、心では不正を働き、地上では おまえたちの手の暴虐を、はびこらせている。」 (詩58:1、2)。
政府指導者とその国民が不正と暴力とに背を向け、正義と平和を求めるとき、平和がナイジェリアに来ることでしょう。

祈りましょう。
・ナイジェリアの政府指導者たちが、神の命令に従い、ナイジェリアに正義と公平さが打ち立てられるよう一生懸命に励むように
・殺掠や国を崩壊させた者たちが裁きを受け、自分たちの犯した行為を悔い改めるように
・恩赦を受け入れた反乱兵士たちが、首尾よく権利を復活し社会的に受け入れられるように
・クリスチャンが聖霊に満たされた生活をし、世俗的な地上の事柄に惑わされないように


ライアン・デービス著
梶木 明一 翻訳