2011年4月 ロヒンギャ族



ノアは昨日、地域の避難民の子供たちのために学校を設立しようとしている団体に警察が来て、危険を警告してきたことを知りました。地元住人達は、居住区の裏にあるジャングルに小屋を建てて生活するロヒンギャ避難民が、増加していることを懸念していました。 警察は、避難民を連れ去って行きました。ノアは言いました。 「今度はアパートで眠るのは、私の番でした。」 私たち55人はジャングルの中に隠れていましたがジャングルの中は昼間は眠ることができないくらい熱く、夜は寒過ぎるし騒がしいので、部屋を借りるために資金を蓄えていました。 そのお金で借りた部屋に一回に5人づつ潜り込み、仕事をしていない時に交代で休息していました。 「警察がジャングルに来たとき、私はそこにいました。」 ノアは溜息をつきました。 「私がお約束したように、その住処にあなたをお連れする事は出来ません。でもそれだからと言って私たちを見捨てないで下さい。私たちにはあなたの助けが必要なのです。」ノアはそう訴えました。

住むべき国がなく迫害されています
ビルマは天然ガスや貴金属、材木などの資源が豊かな国です。 この国は135の公式に認められた多民族の万華鏡のような国です。 1974年に軍が政権を握ると、彼らは憲法を廃止し、国民よりも天然資源を高く評価すると公言しました。 何十万人もの人々が国内強制移住させられ、多くの人が国の統制を維持する民主主義運動を邪魔するとして軍事政権に暴行され、隣国の避難所へ逃避しました。国外逃亡したビルマ避難民の主張は、軍事政権が民族的、宗教的に仏教国であることを固守し、様々な不当な政策をとっていると言うことです。ロヒンギャ族の人ほどこの政府浄化の被害を被っている人々はいません。ロヒンギャは主としてラカイン州の西端の帯状の領域に位置し、この地域は、西をバングラデシュに接し、ラカイン海岸から聳え立つラカイン・ヨマ山脈によってビルマから分割されたような状態です。ロヒンギャ族は主にイスラム教徒であり、7世紀にその地域に定住したアラブのムーア人とトルコ人の祖先に由来しているとのことです。
ビルマの軍事政府は、ロヒンギャ族の存在を認めず、英国植民地統治の間にビルマに渡ったバングラデシュからの不法入国者の子孫たちだと主張しています。 1974年以降、軍事政権は1824年にイギリス統治の始まる1年前までにビルマに住んでいなかった居住者に対しては、市民権を認めていません。先祖がその時まで遡ることを立証できる人達だけがビルマへの帰化を申請することが認められています。
1974年以来、軍事政府はロヒンギャから人々を追放する継続的、系統的な政策をしています。高い税金を徴収して財産を没収したり、ロヒンギャ言語を禁止して、労働を強制したりしています。 宗教的迫害、死刑、拷問、および系統的なレイプは国外逃亡するロヒンギャ族の波を増加させました。 集中暴行による政策の結果、およそ25万人のロヒンギャ族が1991〜92年の間に、隣国バングラデシュに逃亡しました。 国連難民高等弁務官によると、73万人以上の無国籍者(ほとんどロヒンギャ族)がラカイン州に住んでいます。 他の情報に寄るとバングラデシュ、タイ、およびマレーシアへの亡命を求めて、150万人のロヒンギャ避難民がビルマの国境の外に住んでいるという事です。

国外に移住した人達
悲劇的にも、ロヒンギャ族の多くが、祖国ビルマで体験したのと同じような恐ろしい試練に直面しています。 彼らは傷つけられ、脅かされ、しばしば利用されています。 バングラデシュでは、多くが貧困生活をしています。 バングラデシュにおける国連高等弁務官からの最近の報告によれば、ロヒンギャ族が頻繁に強奪され、だまされて、家から追放され、恐ろしい状態で投獄され、レイプされるということを報告しています。 少量の食物を支給されても雇用がほとんど無く、難民キャンプは栄養失調の酷い状態です。 避難民の中には食物のために性産業に頼る事を余儀なくされている人達もいます。
避難所に何万人ものロヒンギャ族が難を避けるタイでは、政府が強制的にロヒンギャ族を追放しました。 2009年夏に、タイの軍用船舶でおよそ1,000人のロヒンギャ族がボートピープルとして、公海へ追い出されましたが、それらの船は結局タイに流れ戻り、その結果、多くの人が死にました。 この行為は国際法を逸脱し、1951年に定められた国連難民条約に違反したものです。
同様に、マレーシアでもロヒンギャ族は歓迎されません。マレーシアは、1951年の難民に関する協定と1967年の難民救援宣言に調印していない、世界でも数少ない政府の1つだからです。 マレーシアが避難民に法的な身分を提供しないので、違法滞在者としてのおよそ1万6000のロヒンギャ族は、逮捕、拘留、および強制送還などの政策の下で苦しんでいます。
東南アジアでは、ロヒンギャ避難民たちは難民キャンプに居住していません。ジャングルや、都会の密集地、町、および間に合わせの共同体の中で生活しています。そこでは、暴力か投獄を恐れて生活し、また自分たちの故国に戻ることも許されません。多くの人が社会の底辺で恐怖に怯えた生活をしています。 彼らは適切な医療を受ける事も出来ず、就職や子供の教育への道も殆ど閉ざされた状態なのです。

絶望的な未来?
ロヒンギャ族の人々は、およそ40年間も自国を持たず、基本的人権も無く過ごしてきました。彼らは子供の将来のための備えも無く、教育の機会を子供達に提供できませんでした。ロヒンギャ族は彼らの子孫が同じような絶望的な生活を送るであろうと恐れています。 軍が政権を握っている限り、自分が所有していた農地や、住んでいた村どころか、自国ビルマに帰国する事も不可能です。彼らは2世代以上に渡って、人権を持たない悲惨な生活を余儀なくされてきました。真の憐れみに溢れた神に従うクリスチャンとして、私達は今、その憐れみを現すために何するを事ができるでしょうか?

祈りましょう。
・ロヒンギャ避難民が病気や暴力、不正から逃れ、飲み水、避難所、そして保護につながる手段が与えられるように
・ビルマの軍事政府がロヒンギャ人に市民権を与え、東南アジアの国々の政府が彼らを避難民として正当に扱うように
・ロヒンギャの子供のための教育と大人のための職業訓練への道のために
・ロヒンギャのイスラム教徒達が彼らの苦しみの中でイエスを見出す事が出来るように

アンドリュー・クーマン著
梶木 明一 翻訳