2011年2月 ボーカープのイスラム教徒




ジュリチャは、友人に手を振って町のほうに歩いていきました。町の外に住んでいるクリスチャンの友人を訪ねると、いつも自由を感じるのです。子供の時、彼女はクリスチャンスクールに通い、そこで賛美歌も習いました。しかし、福音のメッセージも、オランダ人によって、奴隷として連れてこられた彼女の先祖であるマレー人から受け継がれてきたイスラムの教えと習慣を越えて、彼女の心に深く入ることはありませんでした。同胞のイスラム教徒と結婚し、日々家事の忙しさの中で過ごすなか、そこが安全な環境でありながら、同時に彼女にとって束縛の場となっていました。その町では、宗教についていつも尋ねられ、常にお互いを見張って、イエスが救い主であると告白することなど考えるだけでも許されないことなのです。ボーカープは、彼女の故郷であり、住み慣れたところではありますが、時々そこは、宗教の檻のように感じるのでした。

ケープタウン郊外の特別な居住区ボーカープ
ボーカープは、観光地として、明るい色とりどりの家で有名です。ケープタウン郊外にあるこの町は、シグナルヒルという丘の上にあり、カラフルな家々が並ぶ住宅街でもありますが、歴史の中でカメレオンのように宗教を変えるという世界でも珍しい地域です。現在ボーカープは、南アフリカにおけるイスラム教のゆりかごと言われており、大変重要な位置を占めています。そこで福音がはっきりと浸透していくなら、世界中のイスラム教に波及的な影響を与えることでしょう。

歴史からの教訓
ケープ植民地は、1652年オランダ東インド会社によって開拓されました。この巨大貿易会社は、インドネシアやマレーシアなどから人々を奴隷としてケープタウンに連れてきました。奴隷が輸入されたのと同時にイスラム教も入ってきました。
ケープの霊的な変動が、ボーカープにも影響を及ぼします。インドネシアから追放されたイスラム教リーダー、トゥアン・グルが、1780年から1793年にロビン島に幽閉され、獄から解放された後、イスラム教神学校マドレッサを開きました。これによって、ケープにイスラム教が広がり、さらに、洗礼を受けた奴隷は自由にされるという制令が出され、物質主義のオランダ人植民者が後押したこともあり、イスラム教は、ますます拡大したのです。
その後150年の間、宗教的、霊的変動がボーカープにやってきます。当初、イスラム教は少数派でしたが、1948年の人種隔離の合法化により、イスラム教は力を得ることになります。ケープのイスラム教徒は、アパルトヘイトと呼ばれる人種差別主義者達に、有色人種の支持者達であるとみなされ、隔離政策により、ポーカープは、マレー人イスラム教徒のために残され、イスラム教徒になることで、ポーカーブに残る権利が与えられました。キリスト教徒は、ポーカープから去ることになり、もともとはキリスト教の住宅街が、イスラム教の要塞と変わってしまったのです。
その後、世界的なイスラム教拡大の波がケープにも押し寄せ、キリスト教会の過失により、さらにその波が広がることになります。1961年、市内のスタジアムで、聖ステパノ教会牧師パイパー師とアハメド師との公開討論が開かれました。討論は、慢性の病気の人が、パイパー師の祈りにより、主イエスの名によって癒されたことで、十字架の勝利のによる癒しによって、多くのイスラム教徒の心が動かされました。しかし、残念なことにリバイバルに繋がるかもしれなかったその動きは、コーランとモハメッドのことが否定的に書かれたトラクトを配ったことにより止まってしまいました。5週間後に、20,000人のイスラム教徒による批判と抗議のデモが起こりました。さらに、パイパー師が教会役員から、事前承認なしに討論会に出たこと、今の時代には終わったと信じられている癒しを行ったことで、激しく非難されたことが事態を悪化させます。アハメド師は、暫くして、世界的に有名になり、多くの有名なキリスト教徒と討論し、数々のキリスト教に対するイスラム教弁論書を書き、中東オイル景気に経済的にも支援され、イスラム布教に大きな貢献をすることになりました。
 それに加え、南アフリカが1960年代、アパルトヘイトの反抗勢力に弾圧を加えたため、人々は不利になることへの恐れから、キリスト教徒とイスラム教徒が一致してアパルトヘイトに対抗するために、ある程度の妥協もしました。そのため、聖書の神とコーランのアラーは、同じ神であるという間違った教えも広がり、イスラム教の教えも取り入れたキリスト教グループの中で、イスラム教徒との結婚も急激に増えました。

新しい時代への希望
F.W.デクラーク氏が1989年に大統領に就任してから、南アフリカの国全体また、ボーカープに新しい時代が到来します。1990年代初め、アパルトヘイトは廃止され、その他の要素が重なり、イスラム教の影響は弱まりました。イスラム教でない人も、ボーカープに移り住むようになり、別の文化も入ってきました。クリスチャンも、祈りの歩行などを含め、静かに宣教活動をはじめました。現在、ボーカープにアフリカ系キリスト教会が1つできています。
しかし、シグナルヒルの住宅街には、まだ多くの必要が残されています。人口の90%はマレー人が占めており、その中にクリスチャンがいるかどうかは、知られていません。その地域で活動しているクリスチャン達は、密かにクリスチャンとなったイスラム教徒と出会えるように、またその地域に家の教会ができるようにと祈っています。歴史は私達に、リバイバルは、優越感や支配、また妥協によってではなく、聖霊の働きと一致した祈り、哀れみにより可能であることを教えています。もし私達が、歴史の過ちから学ぶならば、ボーカープのイスラム教の広がりを逆流させ、この町は、真に丘の上の町、世の光になることができるのです。

祈りましょう。
・ ボーカープのイスラム教徒が、イエス・キリストによる本当の自由を経験し、イスラム教の偽りが明らかにされるように
・ ボーカープに新訳の原則に則った、シンプルな家の教会が建て上げられるように
・ 全てのクリスチャンが、聖書の神とコーランの神の違いをはっきりと認めながらも、愛を持ってイスラム教徒に手を差し伸べていくことができるように


アシュリー・クロエテ著
ベネディクト 恵湖 翻訳